ツイン
※バスなしトイレなし
わが家じゃないけど わが家みたい いつもと違うけど いつもみたい そんなペンションをつくりたいと思っています ペンションの周辺は遊び場所がたくさん 釣りもピクニックも楽しめます あそび疲れたら ペンションいっぺき湖へいらしてください わが家は林の中 バードウォッチングが楽しめます 好きな本をたくさん持って 読書にあきたら温泉へ そんなゆったりした時間も過ごせます 思いっきり遊びたい人 のんびり休養したい人 さわやかに過ごして頂けるよう お手伝いしたいと思います わが家のつもりでいらしてください お待ちしています。
好きな本をたくさん持って 読書に飽きたら温泉へ さわやかな一日を お手伝いしたいと思います
[ プラン内容 ]
このページでは 北条政子と八重姫をご紹介します。
北条義時が亡くなると、政子は泰時を執権に立て、後室伊賀方は伊豆の国へ向かいます。また、執権の事で画策をしたとして伊賀氏の一族は鎌倉を追われる。それと並行して、江間から八重姫を迎える。北条政子は住まいを義時の旧邸へ移し八重姫はここへ来ることに。
翌1125嘉禄元年5・29北条政子が体調を崩します。亡くなる3日前「二品東御所へ渡御せしめ給う、是御違例既危急の故なり」不思議な記事ですがこうすることで、新居が御所になる。東御所は1193建久4年1月、頼朝が山荘を建てたところ。政子はそこへ住まいを移し八重姫と一緒に暮らすことを願った。二人は姉妹のような叔母と姪。3日後7・11二位家薨ず御年69、翌7・12御堂御所の地に於いて火葬し奉る。7・13「相州京兆の御旧跡に移り住ましめ給う、是日頃二品の御居所なり」北条時房が義時の旧宅へ移ります。この記事は政子がこの北条義時の旧宅で体調を崩したことを示しています。
1126嘉禄2・7・11二位家周関の御仏事、勝長寿院に於いて之を修せらる。政子の一周忌は源氏の菩提寺で営まれる。この翌年が三回忌、この時の泰時は冷静さを欠いている。その様子を吾妻鏡が語ります。1127安貞元年2・19武州の御願として、右京兆の周関を供養す、大倉御堂を引き退け二位家三年の御堂を建立する。さすがにこれは周囲から止められる。義時の御堂、東勝寺を壊して政子の供養をする。本来であれば源氏の菩提寺、勝長寿院で三回忌となるべき。実はこの時、体調を崩した母がこの院のとなり、東御所にいる。結局、大慈寺に新たな丈六堂を建て三回忌の供養をすることになる。
11・4「御所の女房阿波の局卒す、武州の大叔母なり」吾妻鏡は母であると言えない主君の苦しさを記録に残す。また、八重姫が亡くなる前とあと3回、御所の竈殿の釜が鳴ると訴える事で、この人が特別な存在であることを伝えている。