ツイン
※バスなしトイレなし
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[ プラン内容 ]
このページでは、八重姫と鎌倉の大仏 をご紹介します。
1230寛喜2年12月、頼家の子どものなかで、ただ一人残された竹御所が将軍頼経に嫁ぎます。翌年、泰時は二人の御願寺を大慈寺と甘縄に立てることにします。御所から艮の鬼門そして坤、裏鬼門にあたります。ところが、難産の末に母子ともに亡くなってしまう。頼朝の再来を願った希望は実を結ぶことができなかった。結局、御所の艮、鬼門の方角に明王院が建つことになります。
1236嘉禎2年6月5日、北条義時13回忌の法要を、伊豆の江間で行います。吾妻鏡には、正日は来たる13日と雖も、故に之を引き上せらる。とあります。八重姫の命日に合わせて父と母、2人一緒に供養した。伊豆の北条寺には、今も2人のお墓が残ります。翌年6月は北条政子の13回忌、その供養を大慈寺で盛大に営みます。また、命日の7月11日には、時房と泰時2人だけの追善を南小御堂で行う、私的な供養です。
次の年、1238暦仁元年2月、頼経が将軍として初めて上洛します。同時に甘縄では、大仏殿の建設が進められている。3月23日の吾妻鏡には、大仏堂の事始めなり僧淨光、尊卑の緇素を勧進せしめ、此の営作を企てる。とあります。僧も俗も世の中の人々みな賛同して、大仏堂建設が進められた。鎌倉では疫病がはやって、その病が西から入ってくることに泰時は気がついて、裏の鬼門を母に託した。八重姫の13回忌にむけて、大仏殿の建立がすすめられます。
1252建長2年8月、北条時頼の時代、金銅の大仏建設が始まります。西大寺からやってきた忍性によるこの事業は、10年をかけて完成します。1262弘長2年2月その師、西大寺別当叡尊を迎えて、落慶供養が行われる。鎌倉の大仏さまは、背中が丸くて、おやっと思ったことありませんか。年老いた八重姫の姿と思うと、納得ができます。